#010 人形

    道具

    今回の話は、人形(にんぎょう)についてです。同じ漢字でひとがたという読み方もあります。同じ字なのですが読みが変わると少し違うものになります。ひな祭りのお人形やお地蔵さんのオブジェなどをイメージして聞いてみてください。

    ・お祓いや呪いのツールとしての人型(ひとがた)

    「目が悪い場合は、お地蔵さんの目をなでると、目がよくなります」というタイプの信仰があります。この場合、お地蔵さんは人間の身代わりになっているといえるでしょう。
    お地蔵さんをなでることで、自分の体がよくなることにつながっているわけです。

    これは人間と人形(ひとがた)がつながっているという世界観がベースにあります。

    ひな祭りの起源の1つとして流しびなという風習が取り上げられることがあります。これは人形と一緒に自分のケガレを流すという風習です。人形にケガレをつけて、人形を流すことでケガレを祓うというものなので、人間と人形が一瞬つながってそのあとで切り離されるパターンといえるでしょう。

    人間と人形(ひとがた)を怖い意味でリンクさせているのは、呪いの藁人形で、人形に名前を書いて釘を打ち付けることで、呪われた人間にも危害を加えることができると信じられていました。

    これも人間と人形(ひとがた)をつなげることができるという発想からきています。

    呪いの藁人形に釘をうつ描写がよりカジュアルになると、ギャグマンガなどでたまにある、ぬいぐるみが怒り狂った少女のサンドバックになっているシーンになるでしょう。これは「ぬいぐるみ」を「にくい相手」に見立てて殴っている、と考えると藁人形に釘を打つのと似たような描写と言うことができるでしょう。

    ・崇拝対象としての人形

    一方で、神や仏につながる像としての存在が仏像や神像です。現代の神社で神像が祭られていることは少ないですが、かつては神像が製作されている時代もありました。

    神仏の像を人形(にんぎょう)のバリエーションとして見るなら、人とつながるためのものというより、神聖な何かと人間をつなげるための物としてみることができるでしょう。

    興味深いのは神仏の像の中には「裸の人形を作って、服を着せる」という例があることです。鎌倉の鶴岡八幡宮に弁財天の像が保管されていますが、この像は木像が綺麗な衣服を着ているという様式になっています。

    わざわざこの作り方をしたということは、「衣装を着せる」という行為自体に何かしらの意味があったのではないかと考えることができます。

    ・奉仕者としての人形

    人形を考える時にもう1つ外せないのが「奉仕者」としての人形、今でいうロボットとしての人形です。

    古代中国には、「指南車(しなんしゃ、指に南と書く)」という「人形の指が、最初に設定したほうを向着続ける車」という道具が存在していました。今でいうコンパスやカーナビに近いものですが、常に南を指し示すわけではなく最初に設定した方向をずっとさしつづけるというタイプのナビです。日本書紀によると日本でも作られたことがあるようです。

    江戸時代になると「からくり人形」というおもちゃが登場します。例えば「茶運び人形」は、座敷でお茶を運ぶことができました。お茶をのせると主人から客のところへ、客が茶をとると客のところからUターンして主人のところへ戻る、ということができたようです。

    これと似たものが、21世紀になるとより配膳ロボットとして登場しています。例えばですが、「Servi セルヴィ  アイリスエディション」というロボットは、レストランで使われいて体験したことがありますが、意外とちゃんとお仕事していてびっくりしました。

    昔のからくり人形、今のロボット、どちらも「実用」というだけでなく「楽しさ」やエンタメ要素が入ってくるのは興味深い所だと思います。

     

    今回は人形(にんぎょう)のもつ、奉仕者としての役割・憧れや理想としての像・癒しや呪いのツール、などのいくつかの側面についてでした。

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