#011天狗

    動物・幻獣

    山に住む不思議な存在としての天狗、赤い顔に高い鼻、うちわをもって、山伏の服装、といったイメージでしょうか。背中にはねがついている天狗や顔は鳥で身体は人間みたいな半人半鳥の天狗もいますが、人間の姿の天狗の場合は多くは羽根はついてないようです。

    1.キャラクターとしての天狗

    天狗という漢字は天の犬と書きますが、中国大陸での天狗は天かける犬という字で流星をさして天狗と呼んでいたようです。日本でも明日時代のみんという僧侶が流星現象に対して「天狗」と言って流星を天狗と呼ぶ解釈が紹介されました。昔の流星は不吉な現象として解釈されていましたが、「不吉な現象としての流星=天狗」の解釈は日本にはあまり定着しなかったようです。

    その後、「僧を堕落に誘う魔道や悪魔」としての天狗、怨霊になった偉人の姿としての天狗、半人半鳥のいたずらもの、修験者や山伏そのもの、猿田彦、山の神、など様々な天狗が登場して現代にいたりますが、ベースにあるイメージは「山の神」であると思ってよいでしょう。

    似たような「山の神」がキャラクターのかたちをとった存在に山姥(やまんば)というものもありますが、こちらは女神であり天狗は男神であることが特徴です。

    2.山でおきる不思議現象としての天狗

    天狗笑い、誰もいないはずの山中で笑い声が聞こえてくる現象をさし、天狗つぶては、何もないはずだけど急に石が飛んでくる現象をさします。天狗倒しは、原因不明の大音響をさします。

    確かに山の中で1人で歩いていると「風の音」に対して何とも言えない不思議な何かを感じるような瞬間はある気がします。「そういう不思議な瞬間を天狗と呼ぶのだと」言われれば、「気のせい・幻覚」として処理するよりも「納得感がある」説明になることはありそうです。

    現代人は安易に怪奇現象として説明すべからず的な教育を受けていることが多いですが、「不思議体験したから不安」という時の説明ロジックとして「天狗のしわざだよ」と言う説明が昔は使われていました。

    原因がわからず急に大きな音が聞こえてきたりしたらびっくりしますけど、あれは天狗の仕業だと言う風に現象の原因がなにか言葉にしてもらえると安心できるわけです。

     

    なお、キャラとしてみるか、現象としてみるかというのは意外に大事な問題です。例えば山で声を出すと反響する現象について「やまびこ」というものがあります。

    これを反響ではなく不思議現象として見た場合に「猿のような妖怪がいて叫び返している」というイメージが全国区なのかといわれると疑問符はつきます。ただ、「不思議なことに大声を出すと戻ってくる。その現象を「やまびこ」と呼ぶ」という説明だとわりと広く共有できそうです。

    ふしぎな現象そのものが問題なのか、ふしぎ現象と思われることを起こす妖怪キャラクターが問題なのか、というのは意識的に区別してみるほうが面白いと思います。

    3.物語の中の天狗

    仏法修行の邪魔をする存在としての天狗というのは、念仏三昧の修行僧に「阿弥陀様が迎えにきた」という幻を天狗が見せて殺してしまうというちょっと怖い話があります。来迎だと思ったら、天狗の仕業で高い木の上に裸だつるされた修行僧はそのまま死んでしまいます。
    また、天狗が修行僧を邪魔するだけでなく、堕落した僧侶が天狗になるといった設定が生まれてきます。

    敵対する相手への罵倒として「この、天狗野郎!」みたいにののしるということも行われます。わりと有名なものに鎌倉幕府の頼朝が後白河法王にあびせた悪口で「日本第一の大天狗」というものがあります。これは頼朝と義経との対立で後白河法皇(出家している当時の朝廷の指導者)がどちらつかずの態度をとったことへの罵倒として出てきた言葉と言われています。

     

    仏法の敵対者としての天狗という存在を知った日本にやってきたキリスト教の宣教師たちは、キリスト教の堕天使の翻訳として「天狗」を使っていたことがあります。

    ルシフェルという天使がデウスに反乱を起こして高慢の罪によって地獄に落ちるという話がキリスト教の世界にありますが、天狗も高慢や邪悪のシンボルとしての解釈をされることがあるので堕天使の翻訳として使いやすいと思ったのかもしれません。

    一方で昔話の天狗は僧侶を堕落させる役目だけでなく、かっこいい役回りを演じることもあります。

    有名なのは源平合戦時代の源義経を鞍馬山の天狗が鍛えて有能な武将にしたという伝承です。能楽の鞍馬天狗などで取り上げられていますが、幼少期に鞍馬山に預けられていた義経は鞍馬山の天狗に鍛えられることですごい武将になったという話があります。

    この場合の天狗は武術の神様、兵法の神様、みたいな立位置になっています。

    現代の鞍馬山にも「義経が修行した場所」みたいな案内がたってますが、山の中の雰囲気は現代であっても「天狗が降臨しても不思議ではないかも」という神秘性を保っているように見えました。

    4.山の神としての天狗

    物語の中では仏法に対立する悪役になったり、武将の師範になったりと色々なキャラクターを演じていますが、ありますが、山岳信仰というくくりでいくと単純に「山の神すなわち天狗」と見るのが分かりやすいでしょう。

    愛宕山(あたごやま)、鞍馬山(くらまやま)、飯綱山(いづなやま)、高尾山(たかおさん)、などなど、各地の霊山としても知られる山の多くには神として信仰の対象になる天狗がいます。

    今回は天狗という言葉には、山で体験される不思議現象、仏法の敵対者キャラ、武将の指導者キャラ、山の神そのもの、などのイメージがあるというお話でした。

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