1.平家物語の時代から、何なら古代文明の時代からの遊具
「『賀茂川の水、双六の賽、山法師、これぞ我が心に叶はぬ物』と白河の院も仰せなりけるとかや。」というフレーズがありますが、院政をはじめた当時の最高権力者だった白河院も「鴨川の水害、すごろく遊びのさいころの目、延暦寺の僧兵」これは思い通りにならないものだったという意味です。
平安時代からすごろくが遊ばれていたという例なのですが、奈良時代の大仏建立で有名な聖武天皇ゆかりの品が集まっている奈良の正倉院にも「六面体のサイコロ」が収蔵されています。
昔のさいころは現代と同じ立方体の六面のものと、棒状のものとあるのですが、奈良平安の昔から「立方体」のさいころは存在していたようです。
サイコロは人類最古の遊具のようで、既に古代エジプトや古代インドでは現代のと似たようなものが出てきています。
ちょうはん賭博は、時代劇でよくでてきますが、平安時代や鎌倉時代はまた違う形式のサイコロ賭博がはやっていたようです。賭博ときくと「悪い遊び」のように聞こえるかもしれません。ただ、中世以前の時代においては賭け事は道徳的な悪ではなく「ふつうの遊び」という認識をされていました。
明治維新の立役者として知られる岩倉具視のエピソードに、不遇時代は屋敷で賭場(すなわちカジノ)をやって稼いでいたという話がありますが、江戸時代にあっても貴族がカジノを経営することは特に罪悪感を覚えるようなことではなかったのではないかと思います。
余談ですが、イギリスの場合はバッキンガム宮殿にカジノがあって貴族たちがそこで遊んでいたという時代もあったようです。
近代以降の日本社会がかけて遊ぶゲームに悪い印象をもつ人が多くなった理由としては、「ギャンブルで破産する人が増えると、治安が悪化する恐れがある」といった治安維持を狙って政府が規制をかけたという面はもちろんあると思いますが、「遊びの時間は生産に結びつかない時間だから悪である」という工業社会的な思い込みもあったのではないかと思います。
ただ、遊びは悪であるという認識がどこまであったかはさておき、ゲームに熱中しすぎることは危険があるいう話は昔からあったようです。
鎌倉幕府の記録の吾妻鏡には、上総介広常(かずさのすけひろつね)という有力な武将が、すごろくで熱中しているすきに源頼朝の命を受けた梶原景時に暗殺されたという事件が記録されています。こういう記録があるということは「ゲームに全集中しすぎてしまう人」がこの時代からいたのは確かだったのでしょう。
2.船魂(ふなだま)さまという信仰の不思議
船魂(ふなだま)という信仰がかつての日本列島には存在していました。船の神様を祭る習俗ですが、この際にさいころがご神体になっていたという話があります。ゲームの道具としてのサイコロに慣れている現代人からすると、なぜご神体としてさいころが採用されたのかは不思議です。
ただ、サイコロの神聖性というのは、もしかしてと思うことはなくはありません。西洋のトランプというのは遊びや賭け事にも使われますし、占いにも使われます。トランプの親戚であるタロットも同様です。偶然を意図的に起こせる道具というのは、ゲームにも使えますし、占いや神事にも使うこともできます。「偶然によって出てくる値」というのは、おみくじ、ご神託として活用することができるからです。
偶然を宿す道具は神の意志を人間に伝える道具になりえる、という補助線を引くと「サイコロをご神体に」という発想も案外奇抜なものではないのかもしれません。真意を占う道具としてのサイコロという見方をしてみると、サイコロは神に近い道具になるからです。
船に船魂(船魂)を祭るという風習は、木造船による造船がすたれると同時にすたれていったようです。
ただ、船に神様スペースを作るという発想自体が消えたわけでもないようで、近現代以降の日本でも海軍の艦船の中には艦内に神社を作る例もありました。榛名という戦艦なら榛名神社から神様を勧請してくるという具合です。民間でも氷川丸という客船は氷川神社から神様を呼んできて船内神社を作っていました。
人形やサイコロを祭った船魂さまの信仰は薄れていっても、船に何かしらの礼拝施設を備えたいという欲求は消えなかったようです。