#006 下駄

    道具

    下駄には「聖と俗」の相反するイメージがあります。実用品としての下駄と、この世ならざぬ雰囲気を出すものとしての下駄、という2つのイメージについて見ていこうと思います。

    実用品の下駄

    まず、実用品的な下駄ですが、これは2000年以上前にまでさかのぼることができます。

    登呂遺跡(1世紀ごろ、約2000年前と推測されている遺跡)からは、田下駄というものが出土しています。これは近代以前の農家で使われていた水田というぬかるみで作業するための実用品の原型とみることができます。この2000年前の田下駄は現代の下駄の起源ではないかという説があります。こちらの下駄はぬかるみの中での作業用のはきものなので、まさに普段着アイテムとしての下駄と呼ぶことができます。

    江戸時代の町人も下駄を普段使いにしていました。浮世絵などにも、下駄のお兄ちゃんはよくでてきます。現代の花火大会の浴衣&下駄ファッションの起源は江戸時代の町人ファッションにその起源をみることができます。中世以降、江戸のような都市の住民の間では草履や素足と並んで下駄が普及していたようです。

    なお、みんながはきものをはいて外出するのが普通になったのは明治以降の話のようで、明治時代に東京の警視庁がペストという伝染病の予防を理由にして「はだしでの外出を禁ず」という禁令を出しています。禁止例が出るということは、素足で外出する人がたくさんいたということです。

    江戸時代の浮世絵や屏風絵を見ても「下駄」の人、草鞋の人、はだしの人、と混在している絵もありますし、「外出したら足は汚れるもの」という感覚のほうが普通だった可能性が高いと思います。

    明治以降も下駄は長く現役で、文豪の永井荷風などはスーツに下駄で外出していたそうです。舗装されていない道路では革靴より下駄のほうが汚れにくく歩きやすかったという想像もできます。大正時代、旧制高校の学生は学ランに下駄といういで立ちでした。20世紀後半になると、下駄は靴に役割をゆずっていきますが、21世紀になっても靴を入れる箱に対する「下駄箱」という名前は残っています。

    聖なる下駄(非俗の下駄)

    実用的な農具や普段着としての下駄がある一方、下駄には「聖なる」「非日常」なイメージもありました。20世紀のマンガだとゲゲゲの鬼太郎が下駄をはいていますが、ああいう「人だけど人ではない存在」がはくものとしての下駄というイメージです。

    妖怪的な意味も含めて非日常的な下駄の代表格は天狗の下駄でしょうか。天狗や山伏といえば下駄をはいて山野を歩き回るイメージがあります。山伏の開祖は役小角ですが、二本歯の下駄をはいた
    役小角の像や絵はあちらこちらで見ることができます。天狗の下駄の中には一本歯のものもあります。

    山法師、僧兵も当時の言葉でいう足駄(あしだ)、現代でいう下駄を履いているのがお約束の装備です。平家物語の語りで有名な琵琶法師も下駄に杖といういでたちです。僧侶の下駄は、俗世間とは異なる存在としての下駄のイメージにつながるところでしょう。

    下駄で「俗人とは違うPR」といえば、江戸時代の花魁(おいらん)の下駄も忘れてはいけません。この時代、二枚刃の下駄は都市の住人の日常のはきものになっていますが、花魁(おいらん)の下駄は三枚歯の30㎝くらいあるような非常に高さのある下駄も使われていました。

    二枚歯がスタンダードなところにあえての三枚刃というのはある種の神聖性を帯びるための工夫だったという解釈も可能だと思います。もともと日本の遊女は能楽の江口に「遊女実は菩薩」と描かれることもあるように仏様的な聖なる存在として扱われることもありましたので。

    神聖な下駄あるいは妖怪変化の下駄と、日常作業用や普段着としての下駄、下駄は2つの文脈を持つというお話でした。

    追記

    なお、現代の下駄と中世の下駄の違いとして、前の穴の位置があります。現代の下駄はふつう「真ん中」に穴があいているので、下駄をはくと、膝の方向が微妙に外に向きやすいです。軽いソトマタ歩きになりやすい構造ということです。一方で、近代以前の下駄は穴が真ん中よりのものが出土する例もあります。これだと膝の方向はまっすぐになりそうです。現代のサンダルは親指と人差し指の間でひっかける鼻緒のつく前の穴は、だいたいやや真ん中に前の穴が寄ってると思いますが、これは膝が正面を向いた歩きが前提です。

    この辺、いつからつま先側の穴を真ん中にあける作り方が主になるのかは興味深い謎だと思います。

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